職人哲学|包丁と向き合う時間

包丁は、ただの道具ではない。 寿司職人にとってそれは「自分の状態を映す鏡」に近い。
切れ味が鈍れば、心も鈍る。 刃が整えば、動きも整う。 そんな関係で、僕たちは毎日包丁と向き合っている。

料理の仕込みが静かに始まる朝。 厨房の温度と水の感触、砥石に当たる刃の音。 すべてが、その日の“最初のリズム”をつくっていく。
丁寧に研いだはずの刃が、魚に触れた瞬間すっと入っていくと、 「ああ、今日もちゃんと向き合えている」と心が落ち着く。

包丁は嘘をつかない

包丁はいつも正直だ。 前日手を抜いたら、翌日の切り口に出る。 逆に、時間をかけて研いだ夜は、翌日の魚が嬉しいほど素直に切れる。
努力とか才能よりも、“積み重ねた誠実さ”が一番結果に出る道具。

だからこそ、包丁と向き合う時間は、 自分と向き合う時間でもある。
何を大事にしたいのか。 どこで妥協して、どこで踏ん張るのか。 その答えは、刃の状態に全部出る。

使うほど、人格が乗る

柳刃の引き方、出刃の振り方、薄刃の入り方。 同じ包丁でも、使う人によって全く違う表情をつくる。
その人の性格、性質、癖、人生まで写り込む。 包丁ほど、職人の“人格が乗る道具”はない。

器用に切り抜ける人の刃は軽い。 丁寧な人の刃は真っ直ぐ。 迷いのある人の刃は、どこか揺れている。
包丁は、隠せない。

研ぐという行為は、削ることではなく整えること

研ぐとは、削ることではなく、戻すこと。 “本来あるべき姿”に近づける作業。
人も同じで、 積み重なった疲れや雑念を削ぎ落とすと、 すっと軽くなる瞬間がある。

職人は、包丁を研ぎながら、 実は自分を整えているのかもしれない。


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